Humanities
新学期になった。
3回生になり大人の余裕をもって過ごしている。
周りを見渡せば時間割片手に出来たばかりの友達と磁石のようにくっついて授業を受ける新入生や少し余裕の出てきた1年生を見かけ自分もこうだったのかと少し羨ましく思う。
「俺にとって慣れることは飽きる事と限りなく近い。」
何時ぞやか読んだ小説の一文が頭をよぎり、今構想してる小説の内容を考えながらそんなことを思いついた。
さて、ガイダンス期間中に 3年にもなるとあちこちでこんな声を耳にする。
「えー、その授業コスパ悪いじゃん。」と。
コスパ、とは楽に単位が取れるかだろう。出席をとらない。寝ててもスマホをいじっててもいい。 所謂楽単という奴だ。実際僕も今まで幾度となくこの言葉を口にした。
3年生になり就活(終活)が近い存在になった今、インターンや各種準備の時間確保のため効率良く単位を取ることは学生にとって当たり前だろう。
そういう人々を勿論否定はしない。
大学に入ってからもう一つ、こんな言葉を耳にする。
「大学の知識って役に立たないよな。」 と。
僕は3年生だが捻くれてるのか勤勉な性格なのか3年になってもフル単に近い時間割を組んだ。その多くは哲学や文学や歴史、教養科目という奴だ。
うん。社会人になって役に立ちそうも無い。そりゃあマーケティングやプログラムを学んだ方が即戦力になる。英語とかに割いた方が良いよな。
………いや待て、本当にそうなのか?
Yamashunは自問した。もし役に立たないのなら何で学問として残ってるんだ、僕が今までやってきたことは本当に無意味なのか。本当に役に立たないのか。
確かに哲学史の知識なんぞ会社では使わない。プラトンやヘーゲルなど絶対にプレゼンには出てこないだろうし、学んでも1年後には覚えてないだろう。研究者にでもならない限り。
ならば意味はないのか。いや違う、知識は学問の表面に過ぎない。その奥にある本質にまで目が行くかどうかが大事なんだ。
歴史には人類が生きてきた動きが、哲学はより良く生きようとした人達の考えの営みが、小説には登場人物を通して作家が伝えたかった想いがその奥深くに眠っている。
それらは考えて、書いて、悩んで搾り取った後、やっと一雫手に落ちてくる。人間の本質だ。
それこそが人文学を学ぶ意味だと思う。人はどの様に生きるのか、どう思うのか、見えないものを形にしたものだ。
社会で生きる以上人は他人との関わり無くして生きられない。どれだけAIが職場から人間を駆逐してしまっても、人間自体は滅ばない。
その人の心や行動を学ぶのが役に立たないレッテルを押されてる人文学だ。
人文学が役に立たないことは無い。その人が本質を知らないだけだと思う。その面白さが分かった時、きっと何よりも強い味方になってくれる筈だ。
冷静に考えれば、マーケティングだって役に立つと言われる理系の物だって社会に出れば多くの知識は役に立たなくなる。
結局、その知識や学んだことを活かし、日常生活で有効活用出来るかは全て当人次第なのだ。
こんな事を偉そうに言ってるが、僕だってまだまだまだまだ途上にいる。
僕ももっと精進しなければならない。
でもこの記事を読んでくれる人がいたら少しでも、大学で学ぶことが無駄では無い。
こんな考え持ってる奴もいるんだなと思って欲しい。
先程言ってたコスパの高いという視点を変えて、楽に単位を取れる、から如何にそこから学べるかにシフトしてみたい。
きっと役にたつよ。
楽単ばかり狙ってた時より、少しだけ次の授業が楽しみにしてる自分がいた。
そんな考えでガイダンスを過ごしていた、中野で迎える3度目の春。