Travel is my normal life.
夕暮れ時を少し過ぎ外も暗くなった頃、友達と僕は飛行機でタイへと向かっていた。
長時間のマニラの空港でのトランジットに我々はすっかり疲れていた。当然だが娯楽施設などはない。空港にあった店で小腹を満たそうと思うも殆どの店でクレジットカードが使えない。
ようやく見つけたサンドイッチ店で安いものを買い、空港の冷水機で喉の渇きを潤す。
そんな状態だったので、機内食が楽しみで仕方なかった。
余談だが、この時が僕達が使ったのはフィリピン航空。機内食が本当に美味しいのだ。
おまけにCAの美人率がめちゃ高い。幸せである。
とは言え、離陸後すぐに機内食が配布されるわけではない。そういう時、僕は大抵本を読んで待つ。
僕は旅に必ず持っていく本数冊ある。そのうちの一冊が成瀬勇輝さんが描いた『旅の報酬』という本だ。
本の詳細は別な記事で書くとして、何度も読み返した本をまた開く。しかし覚える程に読んだその本もさして暇つぶしにもならない。実はマニラの空港で既に読み終えていた。
暇になったな。
三人がけの席で真ん中になった僕は友達と話そうと思いふと横を見る。余程の疲労だったのだろうか、既に眠っている。
寝かしとこ。
次に逆側を見ると、こちらは知らないアジア人だ。彼もまた毛布を首までかけて眠っていた。
つまんないな。何すっか。
妙案が思いつかない。諦めて座席の前に挟まっている緊急着陸案内の中国語訳に挑んで見た。読めるはずがない。しばらくしてお待ちかね、CAが機内食を配りに来た。もちろんセリフは定番の、
“Beef or Chicken?”
だ。(因みにビーフは確実だったが、チキンかフィッシュだったかは覚えてない。)
同じ機内食ならビーフだろと、即答でBeefにした。友達を起こし注文を伝える。CAが奥を覗きこんでいる。見ると右隣の男性はCAに気づかず寝ていた。
彼を起こし、機内食が来た事を伝えた。彼の機内食をCAから代わりに受け取って彼に渡す。彼は一言、“Thanks”と笑顔で言ってくれた。
皆、疲れているから食事も騒がしいものではなかった。友達はしょぼくれた目つきで機内食をつついていた。右隣の外国人も無言だった。
食事を終えてから、しばらくしてCAがゴミの回収に来た。その時は食後の飲み物も提供してくれる。友達はドリンクを受け取るとまた眠ってしまった。
僕はコーヒーを頼む。隣の男性もコーヒーのリクエストだ。CAからは遠いので彼にコーヒーを手渡す。 彼はまた、“Thanks”と笑顔で微笑んだ。
しばらくぼーっとしていると、彼が声をかけて来た。スキンヘッドにサングラス、おまけに筋肉質の彼に実は内心ちょっとびびっていた。*ク◯ちゃんではない。
“君はどこから来たんだい?”
“日本だよ。友達と二人で来た。あなたは?”
“私はフィリピン人だよ。タイに旅に行くんだ。君は大学生?”
“僕らも行くよ。1年生だよ。今、春休みなんだ”
こんな会話を拙い英語でやりとりした後、お互いの自己紹介をした。
彼はジェイソンという男だった。旅が好きでいろんな国に行ってるのだそうだ。
旅人は独身だと思っていたら何と既婚で1児のパパさんだった。
フィリピンは男のヒモ率が高いって聞いたことあるな…。その手のやつか。
“私は休暇中なんだよ。タイは好きで、もう何度も行ってる”
え、まじか。疑ってごめんよ。ジェイソン。
内心謝罪しつつ、彼は囁くように話すので聞き取れない部分も多かったが色々な話を英語でした。その中で彼が突然不思議なことを言い出した。
“私は異常な日々を抜けて、日常に戻るんだ”
“それ、どういうこと?”
“私にとっては仕事をして、育児をして家族と過ごす毎日は異常なんだよ。もちろん家族は大切だが、毎日の仕事なんて退屈じゃないか。”
“日本でも過労で死ぬ人いっぱいいるよ。”
“そう。そんなの異常だ。だから私は休暇が取れて旅に出るときに周囲にこう言うんだ。”
“私は日常に帰る。Travel is my normal life. ってね。”
“それ、すごく面白いし大事な考えだと思うよ。”
“そうだろう。だから君が学校に行く日々の生活は普通じゃない。今、この時が普通なんだ。今度旅に行く時は家族に言い残すんだ。 Travel is my normal life. ってね。
“うん。そうする。この考え僕は大好きになったよ”
“ありがとう。それからシュン、覚えておくといい。normal lifeを実現するには、Do not buy what you want, buy you need. これが大事なんだ。いいかい。欲しいものではなくて必要なものを買うんだぞ。”
“うん。わかった。教えてくれてありがとう。”
僕はちょうどミニマリズムに興味を持ち始めていたので、この話にすごく惹かれた。旅人はミニマリズムに傾倒しやすいようだ。
ジェイソンにとっては同じ事を繰り返す日常こそが異常なのだ。彼は心から人生を楽しんでるように思えた。長いものに巻かれろで進路を決め、毎日が普通だと信じて疑わなかった自分に気づく。きっと彼は後悔を残さない人生を生きるのだろう。僕は彼を羨ましく思った。と同時に彼の奥さんの器量の広さに驚かされた。子供を抱きかかえて、夫の旅を見送る彼女の姿を勝手に想像した。
僕はその時、結婚なんて微塵も考えていなかったが将来結婚するなら、ひとり旅を許してくれる人と結婚したい。そう本気で思った。
Travel is my normal life. しばらくこの言葉を反芻しているうちに、着陸準備のアナウンスが流れた。俄かに周りが騒がしくなる。外の夜景を見るとシャンデリアの灯のようなバンコクの夜景が見えた。東京都と全く違う。
ジェイソンと握手をして、リュックを肩に背負う。
僕はこれからnormal lifeに戻るんだ。
微笑みの国とその夜景が僕らを待っている。
僕はボーディング・ブリッジを抜けて日常に向かって歩き出した。