Humanities

 新学期になった。

 3回生になり大人の余裕をもって過ごしている。

 周りを見渡せば時間割片手に出来たばかりの友達と磁石のようにくっついて授業を受ける新入生や少し余裕の出てきた1年生を見かけ自分もこうだったのかと少し羨ましく思う。

 

「俺にとって慣れることは飽きる事と限りなく近い。」

 

何時ぞやか読んだ小説の一文が頭をよぎり、今構想してる小説の内容を考えながらそんなことを思いついた。

 

さて、ガイダンス期間中に 3年にもなるとあちこちでこんな声を耳にする。

「えー、その授業コスパ悪いじゃん。」と。

コスパ、とは楽に単位が取れるかだろう。出席をとらない。寝ててもスマホをいじっててもいい。 所謂楽単という奴だ。実際僕も今まで幾度となくこの言葉を口にした。

 

 3年生になり就活(終活)が近い存在になった今、インターンや各種準備の時間確保のため効率良く単位を取ることは学生にとって当たり前だろう。

そういう人々を勿論否定はしない。

 

大学に入ってからもう一つ、こんな言葉を耳にする。

「大学の知識って役に立たないよな。」 と。

僕は3年生だが捻くれてるのか勤勉な性格なのか3年になってもフル単に近い時間割を組んだ。その多くは哲学や文学や歴史、教養科目という奴だ。

 

 うん。社会人になって役に立ちそうも無い。そりゃあマーケティングやプログラムを学んだ方が即戦力になる。英語とかに割いた方が良いよな。

 

………いや待て、本当にそうなのか?

 

 Yamashunは自問した。もし役に立たないのなら何で学問として残ってるんだ、僕が今までやってきたことは本当に無意味なのか。本当に役に立たないのか。

 

 確かに哲学史の知識なんぞ会社では使わないプラトンヘーゲルなど絶対にプレゼンには出てこないだろうし、学んでも1年後には覚えてないだろう。研究者にでもならない限り。

 

 ならば意味はないのか。いや違う、知識は学問の表面に過ぎない。その奥にある本質にまで目が行くかどうかが大事なんだ。

 

 歴史には人類が生きてきた動きが、哲学はより良く生きようとした人達の考えの営みが、小説には登場人物を通して作家が伝えたかった想いがその奥深くに眠っている。

 

それらは考えて、書いて、悩んで搾り取った後、やっと一雫手に落ちてくる。人間の本質だ。

 それこそが人文学を学ぶ意味だと思う。人はどの様に生きるのか、どう思うのか、見えないものを形にしたものだ。

 

 社会で生きる以上人は他人との関わり無くして生きられない。どれだけAIが職場から人間を駆逐してしまっても、人間自体は滅ばない。

 

その人の心や行動を学ぶのが役に立たないレッテルを押されてる人文学だ。

 

人文学が役に立たないことは無い。その人が本質を知らないだけだと思う。その面白さが分かった時、きっと何よりも強い味方になってくれる筈だ。

 

冷静に考えれば、マーケティングだって役に立つと言われる理系の物だって社会に出れば多くの知識は役に立たなくなる。

 

結局、その知識や学んだことを活かし、日常生活で有効活用出来るかは全て当人次第なのだ。

 

こんな事を偉そうに言ってるが、僕だってまだまだまだまだ途上にいる。

 僕ももっと精進しなければならない。

 

でもこの記事を読んでくれる人がいたら少しでも、大学で学ぶことが無駄では無い。

こんな考え持ってる奴もいるんだなと思って欲しい。

 

 先程言ってたコスパの高いという視点を変えて、楽に単位を取れる、から如何にそこから学べるかにシフトしてみたい。

 

 きっと役にたつよ。

 

 楽単ばかり狙ってた時より、少しだけ次の授業が楽しみにしてる自分がいた。

 

そんな考えでガイダンスを過ごしていた、中野で迎える3度目の春。

 

 

 

10代最後の記事

 今、タオ島でこの記事を書いてる。


死ぬ気で勉強した大学受験。

第一志望の合格掲示板に僕の名前は無かった


 「これからの人生上手くいかないことが多い。だからここらで妥協を覚えなさい。」


耳と目を疑った。その言葉を僕にかけたのは1番応援してくれた筈の母だった。


 思えばあの時僕の心は完全に壊れてしまった。と思う。

自分の中から色が消えた。楽しむ心が死んだ。

 何をやっても楽しくない。


以前なら笑い死んでいたような事も心の底から笑えない。


 あんなに彼女が欲しかったのに、心から人を好きになれない。


大事なものが目の前を通り過ぎていく。


人生で初めての挫折だった。

 電柱を殴りながら、声を上げて泣きながら家まで帰った。


 「死にたい。」が口癖になった

 

 タオルで自分の首を締めて何秒で気絶するのか計った。


 授業中に涙が堪えられなくなり、そっと抜けて陰で1人で声を殺して泣いた。


  PCの検索履歴が「新宿 覚せい剤 入手」で埋まった。

 クリスマスに友達に遺書を書いた。

今でもそれは家にある。


こんな地獄いつまで続くのかと思った。


 生きたい、死にたい、生きたい、死にたいをずっと行ったり来たりした。


 1年の最初に取った授業で自己紹介をした。

クラスのほとんどが帰国子女だった。


どこにも行ってない僕は焦って、今年ドイツに行くと言った。


18の夏、巨大なザックを担いで不安いっぱいで1人でドイツに行った。


 世界が広がるのを感じた。

今までの自分の人生が途轍もなく下らなく見えた。

 それからは夢中だった、壊れた自分の心を治そうと必死だった。


 人生と人と向き合い続けて、いくつか自分なりの結論に至った。


 長期休みのたびに海外に行き、笑い、受験を思い出しのたうち回った。


思えば僕は混乱していたと思う。

これまで試験力で全てが決まった世界で生きてきた。自分を持ってる人が強い世界で僕はどう生きればいいか分からなかった。


 だから変な気を起こし続けた。


ある時、尊敬する経営者ジャック・マーの動画を見て気付いた。


 人間30分先の事も予測できない。況や将来の事なんか分かるわけがない。


 今を全力で生きた人間が、人と真剣に向き合った人間が人生の最高の幸せを得る。


 不幸も幸福も相対化は出来ない。


 全ては偶然だ。


ドイツで会った人懐っこい笑顔が思い浮かぶ


真っ黒なストーリーを上げた時にすぐに心配してくれためちゃ優しい大学の頭のいい友人


新海誠展を一緒に観に行き、失恋した時は何時間も一緒に飲んだ小学校からの同級生


機内で乗り合わせて「旅こそが日常」と言ったフィリピン人


ミッキーをどぶネズミ呼ばわりしてた奴


仮面浪人を真剣に考えた時に真摯にアドバイスをくれて励ましてくれた人もいた。


Twitterだけだけど受験で励まし合って下らない話をした人がいる


ふざけてるけど真面目なハイスペブロガーと出会った。彼のオフ会で人生面白くなりそうな予感がした。


勉強は教えてくれないくせにもっと大事な事を教えてくれた予備校の恩師


突然無茶振りを要求する見た目も中身も変わってる高校の皆


バーと学食や喫煙所で猥談も真面目な話もしたコーヒが好きな奴がいる


そして中学の卒業式と同じ様にで写真を撮ってくれた16年来の兄弟のような友人もいた。


まだまだいる。 思い返せばキリがない。


ほんの一瞬、ほんの一つ選択がズレてたら皆と今を共有する事は出来なかったろう。


 全ては偶然なんだ。それが今はすごく面白い。


 「20歳までに自殺する。」

 それが僕が家族に言い続けてたことだ。


 でもこうして生きている。フラフラでボロボロだけどなんとか振り落とされずに必死にしがみついてきた。


 別に10代が終わると言えど何も変わらん。

明日もまた慌ただしい1日が過ぎるだけだ。


 でも彼ら無くしては今もなかっただろう。




 本当にありがとう。


結局人を幸せにできるのは高い時計を付ける事でも綺麗に着飾る事じゃない。


 人を幸せにできるのも不幸にできるのも人しかいない。


 これに気付けただけで10代は本当に意義があったのだと思う。


 僕は人生を60年までしか計算してない。

だから人生の1/3が今、終わろうとしている。


 死ぬのがいつか分からない。怖い。

だから残された人生がどれくらいは分からないけど、人との出会いを大切に。感謝して生きていければと思う。


 そうすれば人生そんなに悪くない気がする


そして今、2日前に会った顔も名前も知らない人とビーチで将来を語り合ってる。


 全ては偶然なんだ。


吸ってたタバコを消して、綺麗な空を見上げる。


 ふと好きな歌詞の一節が浮かんだ。


“名前など無いが、長い道をきた。

 揺れる想いが証なんだ、その声で慰めてくれないか。

 呼ぶ声が標識のような光や色を抱いて

さあ、歩こう。歩こう。歩こう。”


少しの好きな曲と人との関わりをこれからみずっと大事にしたい。




 










 

 

逃げ恥、役に立つ。

 

 最近、いじめが原因と思われる自殺があった。高校3年生の男子生徒が首を吊って亡くったそうだ。

 この報道をみて自分の高校時代を思い返してみた。決してクラスの中心では無かったけど、朝学校に行けば「おはよう」と言ってくれる人がいたし、受験モードもあってか皆んなで競い合って試験に臨んだ。仲の良い先生にダル絡みし、行事ではバカみたいにはしゃぎ、気になる女の子の話題でこっそり盛り上がった。

 

 何はともあれ素敵な日々だった。

 

 彼も入学式の日にそんな生活を思い描いたのだろうか。僕にはわからない。

 

 いじめのニュースが無い年などない。どの学校にも必ずいじめは潜在している。なぜ潜在と書いたかというと、いじめ自体把握することがとても難しいからだ。教員が気づいたときには、状況は大抵深刻な事になっている。いじめの加害者も自分達がやってる事をいじめとは決して認めない。悪い事だと知ってるからだ。

 

 彼らはいじめをしていると認めたくない。だからよく似た言葉を使う。

 「いじめてないよ笑 あいつのこといじってやってんだよ」

 実に便利だ。そういう言葉を使い自分らを正当化する。あまつさえ「いじり」という言葉を使いさも被害者も仲良しグループの一団であるように見せる。

 

  てめえら何様だよ。

 

 教員がいじめを追求しようとすると連中はそういう言葉を使うから正確な実態を把握できないし、被害者にさらに報復をする。それを知ってる被害者も声を上げることの出来ない状況が続く。こうして青春に満ちた学校生活の影にいじめはするりと逃げ、身を潜める。

 僕は人間が社会を形成する以上いじめは無くならないと思ってる。

 

 いじめだけじゃない。人間関係や勉強の遅れ、学習障害など様々な理由から不登校や引きこもり、鬱になる人が後を絶たない。学校でも会社でも。

 

 確かに高校までの生徒にとって学校の持つ影響力は絶大だ。良くも悪くも自分の世界の全てに思えてくる。僕もそうだった。だから皆んなから浮いた奴と思われるのが怖くて周りと合わせる。そうすればひとまず平穏だ。

 

 今日の記事は今学校で生きにくい人に向けて書いてるつもりだ。もし目に留まったら見て欲しい。

 

 もし、本当に学校に行くのが辛くて死にたくなる思いをしてるなら、逃げちゃえ。

そこから中指立てておさらばしよう。学校なんて大したこと無いよ。

 

 思い返してみて。学校で習ったことどれだけ覚えてる?そしてどれだけ役に立った?

中学生に聞きたい。地方交付税交付金とか国庫支出金とか試験の後役に立ったかい?

リトマス紙は何性で何色になるか覚えているかい?それは使った?

 高校生に聞きたい、受験で学んだ二次関数のグラフを日常で当てはめた奴いる?

 

 もちろん知ってるに越したことはない。勉強ができれば社会に出るまでの選択肢を大きく広めてくれる。

 でもそれは貴方の命より重いことなのかい?死ぬほど苦しい思いまでして学校で得るものか?

 もう一つ聞きたい。貴方の好きな物は、興味のあることはなんだい?

もし本が好きなら、図書館の本を読み尽くそうぜ、旅が好きなら休学して世界に出ようぜ、絵を描くのが好きならデッサン教室に入り浸ろうぜ。

 アニメが好きならアニクラとかネットで語りまくれば良い。とっとこハム太郎のテーマに合わせてみんなでぐるぐるしよう。その時は僕も誘って。回りたい

 

 今は全然見えないかもしれないけど学校なんて世の中に比べれば全然大した事ない。

今の環境で嫌な思いしても仲のいい人ができなくても死ぬ必要はない。自殺を考える必要はない。たまたま運が悪かっただけだ。

 

 色んな所に行って色んな人と出会って欲しい。必ず心から信頼できる人に会える。

 

 あんまり思いつめないで気楽にいこう。ちょっと嫌になったら紅茶でも飲んで静かにゆっくりしよう。本当にやりたい事は何か考えて見て。

 

 人間大した事ない。大人数でこられたら勝てない。だから今は逃げて良い。

でも、もし本当に自分の好きなことが見つかったら、その時はに全力で勝負しよう。

 

 今はまだ休憩するときだ。学校の人間が世の中の全ての人じゃない。先生だけが先生じゃない。この人は、と思った人を先生にすりゃ良い

 

 学校の大勢とは違う道を行くことになるかもしれない。でも大丈夫。寂しいのは最初だけだ。すぐに気の許せる人とと会える。

 

 大丈夫。やれる。生きてさえいれば。

 

 余談だけどこのブログのタイトルは『逃げ恥、役に立つ』だ

「逃げ恥」は「逃げるは恥でもなんでもない」って意味で使ってる。

 

最後にあなたのこれからの人生が上手くいくことを心から願って終わりとしたい。

 最後まで読んでくれてありがとう。

 

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 僕が落ち込んだときに元気をもらった曲をいくつか紹介します。

 

ビッケブランカ 『WALK』

高橋優 『現実という名の怪物と戦うものたち』

BLUE ENCOUNT 『大丈夫』

WACCI 『大丈夫』

 

。。。って曲名『大丈夫』ばっかじゃん。大丈夫か、僕。

 

 

WALK (long ver.)

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現実という名の怪物と戦う者たち

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  • 高橋優
  • J-Pop
  • ¥250
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だいじょうぶ

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大丈夫

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  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Taiwan Crisis

 目的地の九份にはお昼前に到着した。

 

 雑多の間を縫うようにして路地を三周程した後、僕は飛び入りで予約した中心街の近くの宿のテラスでビール片手に読書に耽っていた。

 本は例によって『旅の報酬』である。

 ジブリ映画の『千と千尋の神隠し』の舞台地とも言われた場所にも突撃し満足感に包まれながらの読書だった。

 

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 僕にとって心地良い疲労感はビールの最高の肴だ。スマホ木村弓さんの『いつも何度でも』(千と千尋の主題歌)を流し、勝手に感慨に耽る。中心街の喧騒がぼんやりと聞こえてくる。旅にはこういう時間が必要なんだ。

 

 おまけにビールは台湾名物の果物ビールである。ほろ酔いで潰れる僕もするすると飲める。美味くない筈がない。台湾に行く方には是非お勧めしたい。

 

 しばらく一人で酒を飲んでいると、中国人らしい女性に声をかけられる。年齢はそう変わらないが多分歳上だろう。年齢を聞くと思った通り21歳との事だった。彼女は広東から来たと言っていた。大人っぽくて結構綺麗な人だった。

 

        これが大陸の力か。流石だな。

 

 その後しばらく雑談をしていると一人の日本人男性が入って来た。彼は京都で警察官をしていて仕事の関係で台湾に滞在中との事だ。なんと中国語が堪能である。彼も会話に加わり英語・日本語・中国語が飛び交う不思議な空間になった。

 僕は純度100%の不純な人間なので美人と会話できるなら中国語やろうかななどと思っていた。

 言語を学ぶ動機なぞ留学や就活なんて大層な理由じゃなくてもいいだろ。その言語で自分の満足度が上がるなら最高じゃないか。

 僕は彼女に北京に行った事しか無いと伝えると広東も良い所だからオススメする、と行ってくれた。

      広東が次の有力な目的地になった瞬間だった。

 そんな調子でいると、もう夜も遅いとの事で警察の方と中国人女性は先に寝室へ戻って行った。僕は二人に挨拶をしてまた一人で飲み直す。

 しばらくして今度は年下らしき女子三人組に声をかけられる。台北に住んでる大学生で18歳。日本語を学んでいるとの事だった。どうやら先に戻った警察官が日本人がいるということを彼女たちに教えたらしい。

 再度会話が始まる。彼女達は英語も拙かったが話せた。

 もう彼女達と何を話したか、その詳細は覚えていない。ただ日本語を学んでいていつか東京に来たい、留学したいと何度か言っていた。その言葉一つ一つにやる気を通り越して執念のようなものを感じた。

 

 “いつか絶対ここを抜け出す。”

 “必ず幸せになる。”

 

 口にこそ出さなかったが彼女達の目や声にそんな感情が滲んでいた。

 彼女達の会話の中で僕が最初に感じたのは強い焦燥感だった。

    僕は将来人並みの生活も送る事ができないかもしれない…。

 

 彼女達は既に中国語を話せる。そしてそこそこ英語もできる。将来は日本語も習得するだろう。(現在もInstagramで時々やり取りをしている。)言葉の面で単純に考えても世界の数十億人とコミュニケーションが取れる。

 しかし彼女達は決してそれらを自慢するそぶりはなかった。それが普通だからだ。

 片や自分はどうか。母語の日本語は話せる。しかし英語はネイティヴ並みとはいかない。第二外国語だって習得してるわけでは無い。

 

 頭の中で少し考えてこのまま行く自分の将来の需要の低さと活躍の場の狭さに言葉を失う。

そして今までの大学でやって来たことを振り返る。

 

 自分では他の学生より真面目に授業を受けていると思っていた。でも寝るためにと楽単をとり、欠席のボーダーラインを確認してサボっていた。そんな生活で得られたものは何か。将来に役立つ資格か。人生を豊かにしてくれる経験か。果たしてそれ以外か。

 

 

 

 自分で納得し、自信をもって言えるものが

 

  何も、無い。

 

 

 高い学費を納めて一人暮らしまでして、今まで何をやってたんだ。

 悔恨の念に駆られる。

 のんべんだらりと学生生活を送ってる間に彼ら・彼女らは様々な能力を習得するだろう。その間に自分はどうすれば良いんだ。

 既にアジアを中心とする多くの外国人が日本に労働目的で滞在している。これからますます増える見通しだ。都会のコンビニやマクドナルドで外国人店員を見ない日は無い。

 正規雇用者も増えてくるだろう。その時彼らに対する自分の価値はどのくらいか。

酔った頭で考えたが既に答えは出ていた。

 

 世界の多くの国で日本人は好意的に思われ、多くの外国人が日本を目指す。でも僕が凄いわけでは全く無い。僕はただ世界有数の経済大国に生まれただけだ。

 

 旅に出て確かに分かる。日本は凄い、と。

 食品の安全性も、インフラや交通機関の状態も、行き交う人々のマナーも群を抜いてレベルが高い。シャワーの水が口に入ら無いように気を使う必要もない。日本語さえ話せれば大学院までの心配もない。

 

 その素晴らしさが僕を怠惰にさせた。良くも悪くも僕らは恵まれすぎた。

 

 これからどうすれば良いのか。自分に問うても答えは容易に出なかった。

 

 九份は夜でも温暖で心地良い。まだ少し酔いは残っていた。もう少し三人と話をしたかったが、明日は早い電車に乗らなければならない。朝が弱い僕には大変な労力だ。おやすみを言い、ビールの缶を持って椅子から立ち上がって部屋へと戻る。

 

 まだ頭は混乱していたが、これ以上悩んでも良い答えは出そうになかった。

帰国後、誰かにこの体験を話そうと持ち歩いてるメモにに書き留めて電気を消す。

 

 どうかここで得た経験が将来の役に立ちますように、そう願って眠りについた。

 

 

 

 僕が九份で聞いていた曲です。有名ですがとても静かで良い曲です!

是非聞いてみて下さい。早朝が特にオススメですよ。

 

 

 

 

いつも何度でも

いつも何度でも

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Travel is my normal life.

 夕暮れ時を少し過ぎ外も暗くなった頃、友達と僕は飛行機でタイへと向かっていた。

 

 長時間のマニラの空港でのトランジットに我々はすっかり疲れていた。当然だが娯楽施設などはない。空港にあった店で小腹を満たそうと思うも殆どの店でクレジットカードが使えない。

ようやく見つけたサンドイッチ店で安いものを買い、空港の冷水機で喉の渇きを潤す。

 

 そんな状態だったので、機内食が楽しみで仕方なかった。

余談だが、この時が僕達が使ったのはフィリピン航空。機内食が本当に美味しいのだ。

おまけにCAの美人率がめちゃ高い。幸せである。

 

 とは言え、離陸後すぐに機内食が配布されるわけではない。そういう時、僕は大抵本を読んで待つ。

 

 僕は旅に必ず持っていく本数冊ある。そのうちの一冊が成瀬勇輝さんが描いた『旅の報酬』という本だ。

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 本の詳細は別な記事で書くとして、何度も読み返した本をまた開く。しかし覚える程に読んだその本もさして暇つぶしにもならない。実はマニラの空港で既に読み終えていた。

 

 

                 暇になったな。

 

 三人がけの席で真ん中になった僕は友達と話そうと思いふと横を見る。余程の疲労だったのだろうか、既に眠っている。

 

                 寝かしとこ。

 

 次に逆側を見ると、こちらは知らないアジア人だ。彼もまた毛布を首までかけて眠っていた。

 

 つまんないな。何すっか。

 

 妙案が思いつかない。諦めて座席の前に挟まっている緊急着陸案内の中国語訳に挑んで見た。読めるはずがない。しばらくしてお待ちかね、CAが機内食を配りに来た。もちろんセリフは定番の、

 

 “Beef or Chicken?”

 だ。(因みにビーフは確実だったが、チキンかフィッシュだったかは覚えてない。)

 

 同じ機内食ならビーフだろと、即答でBeefにした。友達を起こし注文を伝える。CAが奥を覗きこんでいる。見ると右隣の男性はCAに気づかず寝ていた。

 

 彼を起こし、機内食が来た事を伝えた。彼の機内食をCAから代わりに受け取って彼に渡す。彼は一言、“Thanks”と笑顔で言ってくれた。

 

 皆、疲れているから食事も騒がしいものではなかった。友達はしょぼくれた目つきで機内食をつついていた。右隣の外国人も無言だった。

 食事を終えてから、しばらくしてCAがゴミの回収に来た。その時は食後の飲み物も提供してくれる。友達はドリンクを受け取るとまた眠ってしまった。

 

 僕はコーヒーを頼む。隣の男性もコーヒーのリクエストだ。CAからは遠いので彼にコーヒーを手渡す。 彼はまた、“Thanks”と笑顔で微笑んだ。

 

しばらくぼーっとしていると、彼が声をかけて来た。スキンヘッドにサングラス、おまけに筋肉質の彼に実は内心ちょっとびびっていた。*ク◯ちゃんではない。

 

 “君はどこから来たんだい?”

          “日本だよ。友達と二人で来た。あなたは?”

 “私はフィリピン人だよ。タイに旅に行くんだ。君は大学生?”

        “僕らも行くよ。1年生だよ。今、春休みなんだ”

 こんな会話を拙い英語でやりとりした後、お互いの自己紹介をした。

彼はジェイソンという男だった。旅が好きでいろんな国に行ってるのだそうだ。

旅人は独身だと思っていたら何と既婚で1児のパパさんだった。

 

 フィリピンは男のヒモ率が高いって聞いたことあるな…。その手のやつか。

    

“私は休暇中なんだよ。タイは好きで、もう何度も行ってる”

 

    え、まじか。疑ってごめんよ。ジェイソン。

 

 内心謝罪しつつ、彼は囁くように話すので聞き取れない部分も多かったが色々な話を英語でした。その中で彼が突然不思議なことを言い出した。

 

“私は異常な日々を抜けて、日常に戻るんだ”

           “それ、どういうこと?”

“私にとっては仕事をして、育児をして家族と過ごす毎日は異常なんだよ。もちろん家族は大切だが、毎日の仕事なんて退屈じゃないか。”

 

      “日本でも過労で死ぬ人いっぱいいるよ。”

 

 “そう。そんなの異常だ。だから私は休暇が取れて旅に出るときに周囲にこう言うんだ。”      

 “私は日常に帰る。Travel is my normal life. ってね。”

               

      “それ、すごく面白いし大事な考えだと思うよ。”

 

“そうだろう。だから君が学校に行く日々の生活は普通じゃない。今、この時が普通なんだ。今度旅に行く時は家族に言い残すんだ。 Travel is my normal life. ってね。

 

      “うん。そうする。この考え僕は大好きになったよ”

“ありがとう。それからシュン、覚えておくといい。normal lifeを実現するには、Do not buy what you want, buy you need. これが大事なんだ。いいかい。欲しいものではなくて必要なものを買うんだぞ。”

              

      “うん。わかった。教えてくれてありがとう。”

 

 僕はちょうどミニマリズムに興味を持ち始めていたので、この話にすごく惹かれた。旅人はミニマリズムに傾倒しやすいようだ。

 ジェイソンにとっては同じ事を繰り返す日常こそが異常なのだ。彼は心から人生を楽しんでるように思えた。長いものに巻かれろで進路を決め、毎日が普通だと信じて疑わなかった自分に気づく。きっと彼は後悔を残さない人生を生きるのだろう。僕は彼を羨ましく思った。と同時に彼の奥さんの器量の広さに驚かされた。子供を抱きかかえて、夫の旅を見送る彼女の姿を勝手に想像した。

 僕はその時、結婚なんて微塵も考えていなかったが将来結婚するなら、ひとり旅を許してくれる人と結婚したい。そう本気で思った。

 

 Travel is my normal life. しばらくこの言葉を反芻しているうちに、着陸準備のアナウンスが流れた。俄かに周りが騒がしくなる。外の夜景を見るとシャンデリアの灯のようなバンコクの夜景が見えた。東京都と全く違う。

 

 ジェイソンと握手をして、リュックを肩に背負う。

 僕はこれからnormal lifeに戻るんだ。 

 微笑みの国とその夜景が僕らを待っている。

 

 僕はボーディング・ブリッジを抜けて日常に向かって歩き出した。

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

独白録

 高校までの学校は既に新学期を迎えている。僕の大学も明日より新学期だ。

 

 統計によると子供の自殺は9月に増加傾向にあるという。理由はいじめである。

夏休みが終われば、いじめの生活に逆戻り。それならいっそ、、、という事だ。

 

 自殺をするくらいなら学校なんか行くなという人もいるけれど、そんな簡単な話ではないと思う。小さい子供であればあるほど置かれている環境は狭いのだ。家を除けば学校が世界の殆ど、あとはせいぜい習い事教室と言ったところか。

 

 さらに一旦ある程度の期間学校を休めば、足を運びにくくなる。僕もインフルエンザで一週間ほど休んだ後は周りの視線を何となく感じたし、嫌だった。ましていじめであればなおのことだろう。中には親に迷惑をかけたくないと思って無理して行く子もいるのかもしれない。

 

 基本的に被害者は事態を大事にしたくない。もし親の耳に入ればそれこそ加害者の親も交えての話し合いになるし、学校に知られれば集会が大量発生する。多くは匿名だけどそんなの嫌に決まってる。最悪の場合、さらなる報復を受け、加害者が増加することもある。だから黙っているため表沙汰になりにくい。そして限界値を超えた時、命を絶つのだ。

 

 もっとも最近は自殺が起きる前と起きた後の学校側の対応にも問題がある場合が多いけど。

 

 さて、ここまで書いてこんな事を言うのも何だが、いじめに限らず僕は自殺を否定しない。他人に自殺を止める権利は無いと思ってる。自殺を考える程に追い詰められてる人にとっては、今生きてる世界こそが生き地獄そのものなのだ。その上でまだ止めると言うのは、お前もっと地獄で苦しめと言うようなものである。キリスト教や仏教では自殺を大罪として位置付けているようだが、笑わせるなと言いたい。来世の幸福より現世の救済の方が大事じゃないのか、仕事しろと言いたい。十字架に縛られたり穏やかに瞑想なんぞしとる場合かい。

 

 だからもしも、いじめで自殺を考えていて、もう嫌だなと思っている人がこれを読んでるならこう言いたい。

 

 

  「今まで本当にお疲れ様。これからの喧騒なんかの心配はしないで後はゆっくり休んでね」と。

 

 

 

 ただこれも言いたい。

 もしほんの少しでも死にたくない、と思うのならば旅に出てみてほしい。学校でも仕事でもいくら休んでもいい。全部投げ出していいから国内でも海外でもちょっとでも気になるところに行ってほしい。必ず一人で行くんだ。いいか、一人だぞ。

 

 見知らぬ土地で自分を知ってる人が誰もいないところなら、少しは周囲の目も気にならないはず。面白いものが見つかるかもしれない。人生を変えてしまう出会いがあるかもしれない。

 

 

 旅は人生の縮図だ。一人旅には必ずトラブルが付き物だ。でも誰かがきっと助けてくれる。世の中貴方をいじめる人ばっかりじゃない。もし困った事を乗り越えることができたら、自信にしていいと思う。貴方は思うほど弱い人間じゃないって事だ。学校は思っている以上に小さいし下らないもんだ。高校までの勉強なら後でいくらでも取り返せる。普通の人と違う人生かもしれないけどそれも面白いじゃないか。

 

 頑張らなくていい。疲れるから、代わりに楽しい事しようよ。

 

 死ぬ前に一度くらいは悪くないと思うよ。一人旅。

 

ここまで言ってみたものの、困ったことに僕の文には強制力はない。

生きるも死ぬも好きな方を選んでほしい。人生の決定権は貴方にしかない。

無責任ではあるがこれ以上言えそうにはない。

 

気になることがあったらコメント欄にでも書いてほしい。

 

 

 最後にあなたのこれからの旅が幸せなものである事を願って結びとしたい。

 

 

  

               

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

大学とは。

 

  先日YouTubeでホームレスからハーバードに進学した女の子の動画を見ました。

彼女は奨学金を得るための面接で担当の大人たちに「この酷い人生を変えたい」と言ったのだとか。死にそうな空腹もホームレスも経験した事の無い私は自問しました。

  

  「大学って何のために行くのか。」

 

 これ、大学を目指している人、通っている人、もう卒業した人、あるいは通った経験のない人でも多くの人が一度は考える事でしょう。

 

 明治維新から戦後しばらくの間は大学は一部の人だけが通うことのできる贅沢なものでした。現代と違いエリート養成機関としての側面が強いものでした。

 

 ところが高度経済成長と共に進学率は上昇し、現在では大学全入学時代という言葉も生み出され、もはや大学進学は珍しいものではありません。現代では大学に進学しない理由が学力よりか経済的な理由の方が多い気がします。高校3年生にもなると生徒は志望校に入るために毎日何時間も勉強します。しかしそれでも届かず、悔しい思いをする人も大勢います。悲しいことにそれにより、自ら命を絶った人も過去にはいらっしゃいます。入試だけではありません。私立大学を中心に学費はかなり高額です。私立医歯薬ともなると1000万を軽く上回る事も珍しくありません。そして卒業して社会人になれば大学で学んだことは役に立たないと言われます。一時の文低理高や医療系の人気は社会に出て使えるものをという考えが背景にあるのでしょう。

 

 それだけの苦労と大金を払って大学に通う意味は一体何なのか。4年間は一体何のためにあるのか。

 

 大学に批判的な人は「遊んでるだけ」って考えてる人も少なからずいます。確かに楽に単位が取れる授業を探し、授業にきても寝ていたりスマホをいじってる人も何人も見ました。そういう部分をみればそう思うのも無理はないかもしれません。

 

友達に大学に進学した理由を聞くと「〜に関して学びたい」「就職に役に立つから」

「人生の夏休みを謳歌したい!」「この大学にきたかった」 「留学したい」など実に様々です。

 

 

 

 僕は大学とは多くの価値観に触れる場所ではないかと思います。授業で出てきた偉人や教授の思想、様々な地域から集まる人、バイトやサークルで出会った友達など。

 

 生まれも育ちも人間関係も性格も全てが違う他人には同じものを見ていても自分とは全く違う捉え方をしている事が多々あります。自らと違う考えに触れることは、自分の視点や考え方を広げてくれるのではないでしょうか。

 

 多くの人と酒を飲み交わすのも、好きな学問に没頭するのも、お洒落をして恋愛を楽しむのも、旅に出るのも、投資をするのも、法に触れない限りは、何でもありで、そこに正解も不正解もないのかなと思います。大学で学んだことは役に立たないかもしれないけれどそこで多様な価値観に触れたことはその先の人生で必ず役に立つはずです。

 

意外とそれを実感するのは早いかもしれない。人生そんなに長いもんじゃないですからね。

 

 いつか国内だけじゃなく海外の人の考えにも触れたい。そして幸せに生きていると自信持って言える日が来ると良いなぁ。

 

 まだまだ暑い日が続きます。みなさんどうか体調には気を付けてくださいね。

 

                            では、また。