Don't forget our critical thinking
世間が一日千秋の思いで待ったGW初日、僕は自宅で転がって本を読んでいた。
かの偉大なギリシャの哲学者ソクラテスが死刑を宣告されて自ら毒を飲み死んだことに因んで、4月の27は哲学の日となっている。
そんな訳で僕も今日は哲学の本をチョイスしてページをめくっていた。
著作家の山口周さんが書いた「武器になる哲学」という本だ。
武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50
- 作者: 山口周
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2018/05/18
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (6件) を見る
実を言うとまだ読み終えていないのだけど、既に買って良かったと思える本だった。
読み進めていく中で特に印象に残ったのは、ユダヤ系の政治哲学者ハンナ・アーレントの項目だった。
彼女は「悪とはシステムを無批判に受け入れること。」と説いた。
遡ること80年程前ヒトラー率いるナチス・ドイツはアーリア人至上主義の思想もと、ヨーロッパを侵略し第2次世界大戦を引き起こした、という見方がある。
その間ナチス・ドイツは国内外のユダヤ人を迫害し、強制収容所へ送り過酷な労働に従事させ、理不尽な理由で殺害を繰り返した。その結果何百万人という命が失われることとなる。世に言うホロコーストである。
僕も大学1年の夏ドイツ国内にある有名な強制収容所を見学した事がある。
その時見たものは僕の想像を遥かに超えるものだった。よくもここまで人を殺す工夫を凝らしたものだと、驚くばかりだった。
何よりもこれをやったのが同じ人間だった事が信じられなかった。
ドイツの夏は涼しいが、夕方の収容所の物寂しい涼しさは今でも覚えている。
その強制収容所で最も悪名高いのがアウシュヴィッツ収容所、そしてその輸送責任者だったアドルフ・アイヒマンという人物だ。
彼に関して有名なエピソードがある。アイヒマンはドイツが連合軍に降伏した後、アルゼンチンへ逃亡、その後当局によって拘束されイスラエルで裁判を受けた。
連合国や裁判の関係者は法廷に現れたアイヒマンを見て驚いたという。
皆が想像してたものとは違い家族がいるごくごく普通の人物だったからだ。
彼は上からの指示に従っただけだと主張するも最終的には死刑となる。
これを通して言いたいのはアイヒマンが可哀想、ではない。
「人が思考停止する事にはとてつもない危険が隠れている。」 と言うことだ。
思い返すと、外から入ってきた情報をただ受け入れているだけの事が日常では思っている以上に多い。広告、SNS、そして大学の授業。
僕らは、いや少なくとも僕はただ外から与えられたものを疑わずに信じてしまう。それが悪意を持って発信されたものかもしれないのに。
アーレントはシステムについて言及しているが、これは日常生活の殆どに当てはまる。
僕は「尊敬はいい。でも崇拝は危険だ。」と考えてる。
何故なら崇拝の域まで達すると思考停止し対象の言う事が全て正しく思えてしまうからだ。自分で考える事を辞めてしまう。
SNSが高度に発達した世の中では誰もが情報を発信できる。頭の回転の速い人ならすぐにフォロワーを増やし教祖、つまりインフルエンサーになれる。
SNSは個人アカウントがあるので我々には数え切れないほど崇拝する選択肢がある。
僕らが崇拝する土壌は整っているようなものだ。
でもそこで得た情報は本当に正しいのだろうか? 彼の成功法は自分にも当てはまるのか?ニュースはどの視点から報道してるのか?
受け取ったものを一旦頭の中で色んな角度を見てみることが必要なのではなかろうか。
僕は情報を発信する存在は悪いとは全く思わない。危険なのは受け手だ。
時代は変わっている。思考停止したところで遠い過去の時代のアイヒマンのように誰かを殺す機会は日常でそう起こらないだろう。
でも知らぬ間に誰かにコントロールされてるかもしれない。
或いは既にされているのかもしれない。
自分が望むように生きたいと思う人は多い。批判的に物を見るということは時に外からの流れと真っ向からぶつかると言うことだ。それは楽な事ではない。
でもこれだけ情報が、教祖がネット上に氾濫している今批判的に物を見る能力はこの流れを泳ぐために必要な能力だと信じている。
できればこの記事も徹底的に批判的に見て欲しい。
それに批判的な考えは悪い事ばかりじゃない。新しい一面に出会えるという素敵な一面もあるんだ。
それについては後日別な記事で。